youは何しに看護学校へ?(ボクが看護師免許を取ろうと思ったワケ)

看護師への転職 本日のつぶやき

先日のブログにて、30代半ばから准看護学校に通うことになったとお伝えしました

本日は、私(おじ看)がなぜ、准看護師免許を取ろうと思ったのかについて

私の職歴を交えながら、ご紹介します。

現代は、VUCAと呼ばれ「不確実性」の高い世の中と言われています。

不確実な世の中を生きる皆さんのキャリア戦略の

一助になれば幸いです。

①ボクが金融マン(営業)だった頃

大学卒業後、私は某大手銀行に入行しました。

当時「将来のこと」や「自分のやりたいこと」など特に考えておらず

内定が取れた会社の中で「最も年収が高そうな企業」であった

銀行に入行することにしました。

集合研修後、地方の支店に配属された私に待っていたのは

毎月の「ノルマ地獄」でした。

「投資信託」(商品性低)「投資性の高い生命保険」(商品性低)

「住宅ローン」(商品性低)「カードローン」(商品性以下略)etc……..

毎月「いつまでに」「いくら」やるのか。宣誓する日々でした。

これじゃないなぁ、、、、、、

そんな日々の中、新人だった私に先輩がアドバイスをしてくれました。

「いいか。人間性を売り込め。そして、高齢のお客様をターゲットにするんだ」

そのアドバイスを間に受けた私は「孫を助けると思って、ひとつお願いします」

キーフレーズに「高齢のお客様」を中心に、商品を売って売って売りまくりました。

一方で、明らかに商品性が低いと思っている商品を販売せねばならないことについて

「強烈な後ろめたさ」を覚えていました。

「こんなことをするために、これまでの人生はあったのかな」

そう思うことが多々ありました。

②ボクが金融マン(財務広報担当)だった頃

虚しさを感じながらも、支店の皆さんは、優しくて良い方々でした。

その皆さんのために、ノルマをこなしていきました。

そんなある時、私は本社に異動になりました。

「財務広報」の仕事をするとのことでした。

これでもないなあ、、、、、、、、、

「財務広報」の仕事はデスクワークでした。

大都会の綺麗なビルの中でのデスクワークでした。

「決算の数字の整合性確認」や「財務報告書の文言の確認」などをメインにしていました。

この仕事は「株主」や「ステイクホルダー」に対する

重要な仕事だと、上司からは言われました。

終日、PCに向かい、会ったことこともない「株主」「ステイクホルダー」のための資料をつくる仕事

「お客さんの顔が見える仕事がしたいなぁ」

そう思った私は、専門資格の取得に向けて勉強を始めました。

③ボクが資格専門職だった頃

数年後、無事に資格を取得できた私は資格専門職に転職しました。

とても楽しい日々でした。

「目の前のお客さん」のために「価値のある仕事をする」

自分が望むものの全てがありました。

ただ一点を除いて、、、、、、

そうです。激務だったのです。

嘔吐そして、、、、

その仕事は「裁量労働制」のような雇用形態で規定の労働時間などあってないようなものでした。

報酬はそれなりに良かったのですが、労働時間は無制限に近いような状況でした。

朝5時に仕事を初めて、終わる頃には日付を跨ぎそうになっている。

そんな日々が続きました。(まだ無理が効いていてのでしょうね)

そのような環境下で、数年経ったある日

通勤中に嘔吐、そのまま病院に直行し、休職することを命じられました。

「働きすぎると体を壊す」

「この仕事を続けると本当に壊れてしまう」

幸い、休職からは復帰できましたが、復帰後の私の頭の中にはこの言葉がこびりついていました。

このまま座して死を待つくらいなら。

そう思った私は、人生の軌道修正のために学び直しをすることにしました。

④まとめ(ボクが欲しかったもの)

本日は、私(おじ看)の職業人生とその中で考えたことをお伝えしました。

十数年の社会人生活の中で私は

①「自分が良いと思えることができること

②「目の前の人のために働けること」

③「持続的に働ける労働時間であること」

この3つの価値観を働く上で大切にしているのだとわかりました。

皆さんはどうでしょうか。

働く上で、どのような価値観を大切にしているのでしょうか。

もし、今の自分の状況が自分の価値観を異なっているのならば

思い切って学び直しをしても良いのかも知れませんね。

その際は、給付金もあるので、活用していくと良いですね。

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